感覚はあざむかない。判断があざむくのだ。
『成幸の法則2020』11.19
Vol.1581
感覚はあざむかない。判断があざむくのだ。
<ゲーテ>
今日は「感覚を鍛える=感覚する」というお話です。
「甘い、辛い、酸っぱい」のような、「わかりやすい」感覚はとても認識しやすいですよね。
しかしこんな場合はどうでしょう。
砂糖が10杯入ったコーヒーは、「あっま!」という感じですが、それに慣れていた日々から突然「砂糖1杯」に変更すると、「甘さの基準が10杯にある」ので、無いも同然ぐらいの甘味になります。
しかし、ブラックコーヒーしか飲まない人は、「0.5杯」でも甘く感じるはずです。
つまり「 感覚レベル」というのはとても曖昧なものなのです。
一方で感覚レベルは研ぎ澄ますことが出来ます。
「鍛錬すれば」必ず研ぎ澄まされますが、「 捉えられない感覚がある 」事を認識する事が最初の一歩です。
果ては、「ほんのり甘い」「若干の酸味」というようなレベルでも、ハッキリと認識できるようになります。
身近な例にファスティングがありますね。
ファスティング後の味覚はかなり研ぎ澄まされます。
感覚とは、振動周波数を捉える力です。
味や匂い、水や空気の動き、そして人間の感情の機微をハッキリとその感覚が捉えます。
自己観察の視点レベルを上昇させ、自らが「今どのような状態であるか」を認識できるようなることが目標です。
視点レベルは、潜在意識を「鏡する出来事」で常にチェックできます。
それは、感じていなかった細かい振動周波数を感じ取る鍛錬です。
その繰り返しで、マンネリになっている日常を「感覚する」事が可能になるのです。
今日は言い回しが捉えづらいでしょうが、成幸のエネルギーを自分の中に充填するためにも、「感覚する」事は、重要な鍛錬の方法なのです。
愛を感じ、感謝の波動を発信できるようになるために、「鈍感を手放す」ことが必要不可欠です。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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