魂を肉体から分離させるものは、生であって死ではない。
『成幸の法則2022』3.28
Vol.2069
魂を肉体から分離させるものは、生であって死ではない。
<ポール・ヴァレリー>
自分を客観視できる「理性」
心の叫びである「感情」
魂のレベルを表す「本性」
私たちの反応にはこの三つの出処があります。
起こった出来事に対する解釈も、この三通りのどれかです。
目の前の出来事に対して、「理性」が意味づけするのか、「感情」が慟哭(どうこく)するのか、「本性」が大鉈(おおなた)を振るうのか。
どのレベルからの反応なのかを感じてみてください。
そして、私たちはこの三つをしっかり使い分けることもできます。
ピカピカに磨きあげる対象は「本性」に他なりません。
それは、魂の姿だから。
いくら表面を繕っても、本性に「愛」が刻まれていなければ、必ず化けの皮が剥がれます。
理性が感情のお守役なら、本性は理性と感情の産みの親とも言えるでしょう。
自分が苦しくても、周りの人や社会のために動き回っている人。
報道の中でしか知る由もありませんが、今のウクライナの人の中に、大勢そのような人がいます。
本性(魂)の中の愛に裏打ちされた幸動です。
安穏とした中では、「感情」が幅を利せます。
ですから、魂の成長がストップしてしまいます。
魂の成長がストップしたら、「理性」は、評価を下すマシーンに成り下がります。
大人になると、みんな(殆どの人=大多数)が、「人生馬なり」で生きています。
「馬なり」とは、競馬で、騎乗者が手綱をしごいたりしないで、馬が走るのに任せている状態を言います。
まさに馬に任せた状態です。
人生も実は誰かに任せた状態のまま、何年も過ぎているのです。
自分の意思で動いているようでそうではない状態ということです。
そんな中では、なかなか魂(本性)を高めることはできません。
人生とは魂を磨く旅です。
私たちはいずれ皆、死を迎えます。
生まれたときより、少しでも美しく、またやさしい思いやりに満ちた魂で、その時を迎えたいものです。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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