「いざとなったら一人でもいいのだ」と思える潔さは、安心感になる。
『成幸の法則2022』3.30
Vol.2071
「いざとなったら一人でもいいのだ」と思える潔さは、安心感になる。
<斎藤孝>
桜が満開ですね。
この時期になると、「あと何回、この潔い桜を見ることが出来るのか?」そんなふうに思うのは、だいぶ歳を重ねたせいでしょうか。
さて、桜の咲いているときにやるといいのは、過去の清算です。
新しい春の息吹を感じるこの時だからこそ、決別すべき過去の精算をすることで、自分自身の中の生命(いのち)にエネルギーが充填されます。
自分の中にある、古い地球(過去)の清算という感覚です。
自分自身を過去に縛るものを捨てないことには、新たな未来は開けません。
例えば、身近なところでは、メールや保存してある写真など、過去のその時、次元、感情を記憶しているもので不要だと思うものをデリートするのです。
それがあることで、いつでもその過去、次元、感情につながってしまうからです。
一氣に咲き誇り、潔く散っていく桜には、清算と門出のエネルギーが満ちているのです。
「仁義」
たった一度の人生を
世間の顔色うかがって
やりたいことも やらないで
死んでいく身の口惜しさ(くちおしさ)
どうせもらった命なら
ひと花咲かせて 散っていく
桜の花のいさぎよさ
一度散っても翌年に
みごとに咲いて 満開の
花の命の素晴らしさ
ひと花どころか 百花も(ひゃくはなも)
咲いて咲いて 咲きまくる
上で見ている神さまよ
私のみごとな生きざまを
すみから すみまで ごらんあれ
斎藤一人さんの「仁義」です。
桜のように潔く、思いっきり咲いて、散り際も見事な様で生きていきたいものです。
桜の花のピンクと、菜の花の黄色の素晴らしいコントラストが、湯布院に向かう久大本線の線路脇で輝いて見えるこの季節。
命が洗われます。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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