悔し涙というものは、 一人の時に流すもの。
『成幸の法則』2016.12.8
悔し涙というものは、
一人の時に流すもの。
<林真理子>
悔し涙を流した時はあるか?
高校野球では、試合に負けた球児たちが人目を憚らず悔し涙している姿を目にするが、あれはあれで爽やかなものだ。
人生において悔し涙はそう簡単に流せるものではない。
そして、高校野球と違って、その涙は大勢の前で流すようなものではなく、再起を期して人知れず一人で流すものだ。
悔し涙を流すくらいの本気さがあるならば、人生のその勝負、まだまだ捨てたものではない。
勝負は、
勇気ある決断と熱烈な行動力で
ほぼ決まる。
大切なのはそれを信じ無心になって
諦めず努力する情熱だ。
後は運を天に任せて開き直る潔さ。
答えは近い将来必ずはっきりする。
その時は、誇らしい笑顔でその結果を受け入れていることだろう。
そして、自分を讃えてあげたい喜びで、心の中では嬉し泣きに違いない。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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