人は必ず陰徳を修すべし。
『成幸の法則2021』11.28
Vol.1949
人は必ず陰徳を修すべし。
<正法眼蔵随聞記>
全ての人に平等に与えられているもの、それは「死」です。
私たちの人生とは、その「死」に向かう旅路でもあるのです。
「死」を迎えた時に導かれる世界は「天国」か「地獄」。
それを裁く閻魔大王(閻魔様)は、死者の生前の行いを裁き、地獄に落とす恐ろしい大王として知られていますね。
閻魔様の前で聞かれるのは、次の2つのことだけなのだそうです。
1. 陰徳を積んだか?(人知れず、他人の役に立ったか?)
2. 自分の人生を楽しんだか?
この2つ。
「死」を迎えるときには、現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、すっぽんぽんの丸裸、魂だけで新しい旅立ちをすることになります。
人生の中で、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて「死」を迎えるその日まで、倦まず弛まず(うまずたゆまず)、一瞬懸命に、そして一所懸命に、さらに一生懸命に生きていくことが、魂を磨くことです。
加えて、人知れず世のため人のためになるように生きる(陰徳を積む)ことが
磨き砂となり、人間性を高め、精神を高め、生まれたときより高い次元の魂を持ってこの世を去っていくのです。
2つ目の質問の、「人生を楽しんだか?」とは、どんな困難や試練がやってきたとしても、愚痴や泣き言、不平不満をいわず、その困難や試練の中から楽しみを見出したか?ということ。
快楽の世界のことでは決してありません。
そんな意味において、人生とは修行だと言われるのだと思います。
閻魔様の2つの質問に、どちらも元氣に「はい!」と答えられるよう、今日も本氣で生きる決意を持ちましょう。
私たちは怠け者ですから、毎朝決意を新たにすることで、「今ここ」を本氣で生きることが出来るのです。
閻魔様は、仏教では「地蔵菩薩」です。
お地蔵様に化身した姿で、生前の私たちの様子を細かく見ているのです。
ウソは見破られます。
天国(浄土)に行けるよう、陰徳を積みましょう。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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