八十になっても、九十になっても人間の成長はこれからである。

『成幸の法則2022』1.7
Vol.1989
八十になっても、九十になっても人間の成長はこれからである。
<平澤興>
孔子の表した「礼記(らいき)」という儒教経典があります。
その中の一説。
玉琢(たまみが)かざれば、 器を成さず、 人学ばざれば 道を知らず。 
 
嘉肴(かこう)ありと雖(いえど)も、 食わざれば其の旨きを知らず。 
 
至道(しどう)ありと雖も、 学ばざれば其の善(よ)きを知らず。
 
学びて然(しか)る後に足らざるを知り、 教えて然る後に困(くる)しむを知る。 
 
足らざるを知りて然る後に自ら反(かえり)みる。 
 
困しむを知りて然る後に能(よ)く自ら強む。 
経済の世の中に生まれ、格差が極大化した現代に生きる私たちの多くは、「お金」に翻弄された人生を歩んでいます。
しかし、お金は、自分という唯一無二の存在の人生を生きるための道具にすぎません。
必要以上のお金は逆に不幸を招くこともあります。
大切なことは、自己成長のために、魂を磨くために学び続けること。
そして、生まれてきた時に天から渡されてきた封書を開けることです。
その封書には、人生の意味や自分の役割が書かれているのです。
その封書を開けないまま、その封書を頂いたことも氣づかないまま、人生を終えてはもったいないと思いませんか。
封書を開けるために必要なことは、何歳になっても「学び」なのです。
冒頭の礼記の一節は、こんな意味です。
いくら美しい玉があっても、琢(みが)かなければ立派な器はできないのです。
同じように、私たちも学ばなければ立派な道を知ることはできません。
嘉肴(かこう)とは「嘉(よ)き肴(さかな)」、おいしいご馳走のこと、至道とは立派な道徳のことです。
人は学ぶことによりはじめて不足している点がわかり、一方、人に教えてみてはじめて自分の知識の不足について苦しさがわかってくる。
 
不足を知って反省し、苦しみがわかって、また学ぼうと努力する、ということです。
学びの環境の有無が、幸せを左右します。
学びの環境こそが成幸への扉を開ける鍵なのです。
共に、学び愛いましょう。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お

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