足るを知る
『成幸の法則2022』2.3
Vol.2016
足るを知る
<老子>
自分自身に起きた小さな不運に、いつまでも囚われていても、その痛みが和らぐわけではありません。
忌々しさがこみあげ、かえって痛みが増すのが落ちなどというのが現実です。
それよりも、「その程度で事が済んで良かった」と、幸運をかみしめるほうがよほど生産的です。
ユダヤ人は、「足を折っても、片足で良かったと思い、 両足を折っても、首でなくて良かったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない。」こんな風に考えるそうです。
私たちは往々にして、足りないものに目がいき、失ったものを数えてしまいます。
今あるものに感謝をし、残っているものを数えるのです。
そして、残っているものがあることに感謝し、それを最大限に活かそうと、生きるのです。
この姿勢こそが、成幸の在り方です。
生きているからこそ、いろいろ心配できるのです。
もし本当に首を折って死んでしまえば心配することさえできません。
だから、首が折れなかったことに感謝しましょう。
私はバスケットボールをやっていた時、「あとせめて10cm、背が高ければなぁ」と、ないものねだりの氣持ちがずっとありました。
でも、急に背が伸びる訳もなく...
だから、今あるものを磨くしかないと思い、シュート力やスピード、緩急、フェイントなどを、人一倍磨いたことを覚えています。
結果、その時の身長でも勝負ができるようになったのです。
「自分がもう少しカッコよかったら」
「もうちょっとお金があったら」
「いい会社に入っていたら」
「コロナ禍がなかったら」
こんな風に、あれが足りない、これが足りないと、ないものを数えていても未来は拓かれません。
幸せに生きることができる人は、嫌なことが一つも起きなくて、幸せなことばかりが起きていると思いますか?
どんな状況になっても、幸せなことを見つけ、そこにスポットライトを当てることのできる人が成幸者になれる人です。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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