叱ることは大切な教育である。 叱られることが貴重な経験となるのだ。
『成幸の法則2022』2.6
Vol.2019
叱ることは大切な教育である。
叱られることが貴重な経験となるのだ。
<堤康次郎>
最近は「褒めて伸ばす」が定着しました。
ですから、叱られ慣れていない人が多いようです。
また、叱る側も、上手に叱ることが出来ない、そんな人がきっと多いでしょう。
ちょっとキツい言葉かけでもしようものなら、直ぐにパワハラと言われてしまう時代ですから。
「怒る」は感情そのものですが、「叱る」ことは、本来「相手に対する愛」です。
「叱る」は、感情ではなく、意思なのです。
喜怒哀楽という感情表現の中に、「叱」という文字がないことからも明らかです。
親は現代でも子を叱ります。
それは、日本だけではありません。
異文化の地にも「叱る」という文化はあります。
しかし、社会の中からは「叱る」文化は消えつつあるかもしれません。
「怒る」が、何の目的もなくただ相手に自分の感情をぶつけるだけであることに対し、「叱る」は「相手の成長を促す」「次の改善に繋げる」という、教育的な目的があります。
よって、相手の至らない点や改善すべき点を明確に示し、次の改善行動に導いているかどうかが、両者の大きな違いと言えます。
それを感じ取る環境が、世の中から消えつつあるのです。
叱る側も勇氣がいります。
大人同士であれば、それに更に拍車をかけます。
相手にどう思われるか?
別に今伝えなくてもいいか。
そんな思いが胸を過ぎれば(よぎれば)、多くの方は幸動には移さず、見て見ぬふりをしてしまうことでしょう。
なぜ叱られたかをしっかり感じ取る感性が育っていない人には、叱る側の人は、単に「恐い人」にしか映らないのかもしれません。
再度書きますが、叱るという行為は本来愛がベースにあるのです。
人間はそんなに強くありません。
悪事に手を染めたり...
すぐに諦めたり...
そんな時に、強く導く言葉や姿勢は人生の宝にさえなるものなのです。
叱ってくれる人は、年齢を重ねるとだんだん居なくなります。
あなたには叱ってくれる大切なお仲間がいますか?
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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