志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。

『成幸の法則2021』7.12
Vol.1812
志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。
<松下幸之助>
自己犠牲をすることなく、与えられることが、新しい時代の成幸のポイントだということを、何度か書きました。
「それを続けても、疲れない。」
ですとか、 
「時間が経つのを忘れる。楽しい。」
「イライラしない。」
 という体験がありますよね。
「犠牲にしている時」は、ほとんどの場合、「"役割"が、正しいことを行なっている」ので、「評価されるのも、ご褒美も、"役割"が受け取る」ことになります。
 
なので「役割と自分」の乖離が大きいと、自分はどんどん疲弊したり、摩り減っていく感じになってしまうのです。
言い方を変えると、私たちはともすると「"役割"を演じている」ということです。
本来の自分に蓋をした状態で、世の中と向き合うのですから、それはまさに「自己犠牲」の状態です。
しかし、「自己を犠牲にすることなく、与えている」状態は、熱く、伝えるほどにエネルギーが満ちてきます。
一体何が違うのかというと、そこに「魂が込められて」いるかどうかということです。
魂を与えれば、魂に力を受け取り、またそこから与えていくという、成幸の循環が生まれます。
ですから、いち早くライスワーク(生きるための仕事)から脱して、「志事」に命(時間)を使いましょう。
新しい時代は「仕事」よりも、「志事」であるかどうかが、成幸における大切な要素なのですから。
成幸のためには、「大きく描いてこまめに幸動!」です。
大きく描くとは、まさに「志」レベルのこと。
まだそれが見つからないと言うのなら、自分に問うてみてください。
今やっていることが...
ワクワクしますか?
笑顔でいられますか?
成長を感じますか?
やりがいを感じますか?
と。
当てはまるのなら大丈夫。
もし一つも当てはまらないのなら...
そうです。
決断の時が来ているということです。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お

0コメント

  • 1000 / 1000