如何に至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、 人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑いもない真実だろうと思う。
『成幸の法則2021』9.29
Vol.1889
如何に至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、 人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑いもない真実だろうと思う。
<夏目漱石>
現実を「そのまま受け入れ続ける」だけで、「氣づき」を得られます。
「分」や「身の程」を知り、「学び」を受け取ることが出来ます。
しかし、私たちはすぐ目の前の状況に
氣を取られる傾向があります。
自分の世界にのみ通用する定義を軸に、何が正しい、どちらが得だ、誰が悪い、どれが間違っている、これは受け入れて良し等々...
着目するのは、「出来事の詳細内容」ばかりで、自分中心の物語の創造が大好きすぎるのです。
「わたしが、おかしい」
「わたしが、納得がいかない」と
感じる事が起きるのは、「わたし」が体験したい物語の筋道に沿っているかを判定する意識設定のなせる技。
それらを「何よりも優先する」という「自我の観点」が、「最優先」になっている証です。
現実が到来した瞬間の、その一瞬の自己の在り方が、その後の全ての創造を決めています。
「一瞬」です。
その「一瞬」に備えるためには、「最優先を変更しておく」こと。
起こってからでは遅いのです。
成幸のためには、「最優先」を入れ替える必要があります。
少々堅苦しい言葉遣いで書いてみましたが、要は「事実は一つ」だということ。
そこに色を付けるのは自由ですが、自分の目線で見たものが、世の中で「唯一の真実」ではありません。
十人いれば十通りの真実があります。
ですから決して人を裁かない。
自らの主観のみで評価しない。
「分析すれども評価せず。」というスタンスで目の前の現実と向き合うのです。
その姿勢から得られる氣づきこそが、ニュートラルな学びを生み出します。
一方で、自分の立ち位置を鮮明に示すことが大切です。
「旗色を鮮明にする」ことで、賛同者、真の仲間、心友を得ることができます。
そして、志を共にした幸動がハッキリと浮かび上がります。
それが周りの人々の魂に響く、魂動の源泉です。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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