ようやく 何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している。
『成幸の法則2019』8.15
Vol.1143
ようやく 何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している。
<オーギュスト・ルノアール>
致知という言葉があります。
朱子学では、事物の道理をきわめ知ること。陽明学では、本然の良知を明らかにして完全なものとすること。と著されています。
人生において、人間の発展窮極の目的の一つでもあります。
孔子は四十にして惑わずと言いました。
私の四十当時は惑いばかりだったと思います。
三十代までは、それほど疑問もなく、そこそこやってきた。
がんばってこれた。
それなりの成果も出せた。
楽しいこともあったし、まあまあ幸せだ。
そんな人でも、四十代にもになると、「自分の人生、これまで何だったのだろうか」とか、「この先もこのままでいいのだろうか?」という自分の中の疼きを、だんだん無視できなくなってくる場合があります。
自分の命・自分の力・自分という存在を、自分だけのものにしないという生き方。そんな思いがふつふつと内側から湧き出てくるのです。
もっと、多くの人のために、世の中のために、この世界のために、自分という存在とその力を使っていきたいと願うこと。
自分の中の愛を、多くの人に分かち合っていこうと、志を立てて行動する人生。
それが天命・使命というものではないかと思うのです。
ミッションです。
自分という存在が、この世界に果たせる役割がきっとある。
それは、誰か偉い人・特別な人だけがやることなのではなくて、私たち一人一人が、色々な種類と役割という形をとって司るのです。
それぞれの天命・使命を持って生きるということは、きっとそういうこなのだと思います。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お
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