一、 目先に捉われず出来るだけ長い目で見る事。

『成幸の法則2020』1.16
Vol.1288
一、
目先に捉われず出来るだけ長い目で見る事。
二、
物事の一面に捉われず多方面に、全面的に見る事。
三、
何事によらず枝葉末節に捉われず根本的に考える事。
<安岡正篤>
物事を長期で見るのと、短期で見るのとでは結論がまるっきり違ってしまう事は多いでしょう。
また、物事を一面ではなく反対からも、裏側からも横からも、斜めからも見ると立場が変わり、全然違う結論が出ることもあるでしょう。
そして、物事を枝葉で見るのと、根本で見るのとではこれまた結論がまるで違うはずです。
このように頭を柔らかくし、見方を変え困難を乗り越えたいものです。
そして、さらに大切なことは、自分の立ち位置です。
誰も皆自分の視点でものを捉えバランスを取ろうとしています。
その自分の視点が、人それぞれバラバラなので様々なくい違いによる争いも絶えません。
孔子は中庸の大切さを説いたそうですが、その言葉の真意たるやなかなか掴みかねます。
どちらの立場にも与しない、冷静で、観察者的な、第三者の客観的な立場を保つ、とでも定義してみたらいいでしょうか。
陰の世界をのみ知る者は、陰の真ん中が中庸だと思うでしょう。
しかし、陰極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる、という言葉もあります。
陰と陽の世界を知る者には、陰と陽の境、まさにそのポイントが中庸となるのです。
昼の世界をのみ知る者は、正午が真ん中となりますし、昼と夜の世界を知る者には、夕方と明方が中庸となるということです。
つまり、中庸とは今いるところの真ん中ではない、ということなのです。
極めたところに次の世界が見える。
それが中庸なのです。
ブッダも難行苦行の果てに、修行が必要の無い世界が見えてきたそうです。
私たちは、正しくあろうと自分の器の真ん中に立ち他人を観ます。
そしてそれが、どれだけ多くの摩擦や争いを起こしてきたことか。
実は自分の世界を極めたその向こう側に、新し世界が存在しているのです。
極めましょう。
魂込めて。
成幸コンシェルジュ
ひとみ幸お

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